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「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 (ヘブル10章25節)」
一月最後の日曜日です。退職、帰国、家内の闘病で、日曜日から日曜日という一週よりも、一日一日と生かされている思いが強く感じられ、けっこう充実した日を、週を過ごして、二年になります。
日曜日が来ると、母は四人の子を電車に乗せ、隣街の教会学校に行った日々がありました。そして生意気盛りの思春期に入ってからは行かなくなってしまったのです。中学高校ではクラブ活動、社会人になったら、週末の山登り、女友だちと一緒に過ごしていました。それでも時々母の後について出かけたりしたのです。
25になって、日曜日の過ごし方が変わったのです。子どもの頃に、母と一緒に出かけた教会(アメリカ人宣教師が始められました)に、日曜礼拝を守る様になりました。そこで家内と出会って結婚し、子どもたちが与えられ、彼らといっしょに感謝と喜びの日曜日を過ごせる様になりました。一人一人と子どもたちは巣立っていったのです。それを今日まで続けています。今は、” COVID-19 “ 、新型コロナウイルスの猛威で、どう過ごすかの医療の専門家の勧めに従って、家内と二人、家で礼拝を守っています。
聖餐を取り、賛美を捧げ、友人牧師のお話をネットで聞き、聖書を開き、祈り、礼拝を守っております。生活の重要な一部になって、もう半世紀が過ぎ様としています。病気や入院中などで出席できなかった週もありましたが、飽きっぽい自分が、これほど熱心さを続けられたのに、我ながら不思議さを覚えてしまいます。
在華中も、同信の友と共に集まり、礼拝を守りました。天津では、外国人の集い参加し、パスポートが必要でした。後に、街中の歴史ある中国人教会に、家内と自転車を連ねて参加しました。引越した華南の街では、街中の家に、みんなで集い、礼拝を守っていました。週毎に、いくつもの教会に呼ばれては、お話をさせていただいたのです。
そんなことを思い出しながら、新しい日曜日の朝を迎えています。窓から入り込む陽が、春を感じられる様になり、窓辺に置いた鉢に花が、黄色、白色、赤色と、その日を喜ぶかの様に咲いています。もうすぐ陽が昇ってくるでしょう。好い日曜日をお過ごしください。
(冬に風物詩の「毛嵐〈けあらし〉」です)
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